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  • 2016.02.13 Saturday
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ブロガー的輪廻転生説【前編】

僕は結構軽々と、「過去生の縁だね」とか、「前世で
そこにいたんじゃない」とか発言してしますので、
いわゆる「輪廻転生説」を支持しているようにとられる
のですが、実際そこは微妙なところで、むしろ、
「なんちゃって前世」という感じで、人生のある種の
潤い程度に考えています。

なぜかというと、前世を積極的に認めると、いわゆる
「個霊」という分離されたリアリティの強調になり、
本当に大切な「全体性」を見失うからです。

お馴染みのマクロビオティックの創始者、桜沢如一は
「東洋医学の哲学」の中の「個人の霊魂と宇宙の霊魂」
という項目で、スピリチュアルな全体像を適切に語って
います。


「しかし、絶対界はただ一なるモノであり、不可測、
不可思議、不可視の無限界であり、無限な非物質的な
モノで、昔の幼稚な人々は、霊魂とか精神と呼んで、
ソレを神秘化し、不可侵としていた。だから、永遠の
霊魂は絶対無限の宇宙そのものである。」

「個人の霊は、この肉体の中に、肉体を通じ、肉体の
枠の中に分化し、表現された宇宙の一微分である。
だから、肉体が死んで分解すれば個人の霊というものは
もはや存在しない。」


つまり、スピリチュアルな実態とは「全体性」であり、
ワンネスであり、無限であって、分離という「個別性」
では、表現できない。

その意味で、個人の霊というものは、肉体の付随物で、
肉体が消えてしまえば、すべての個霊は、全体という霊
に吸収されてしまう。つまり、全ては神に帰るという
ことを言っているわけです。

「個人の霊」がもやは存在しないのであれば、「輪廻転生」
自体成り立たないことになりますよね。

では、やはり「輪廻転生」は、単なる作り話かというと
そうも言えない発言が続きます。


「しかし、過去という世界、記憶という世界では、立派に
永遠に存在している。タトエバ小説の主人公が最後の
ページで死んでしまうと、モーその小説は終わりになって
しまうが、そのスグ前のページやそれから第一ページまで
の数百ページの間では、ヤハリ、生きて存在している。」

「つまり、過去というモノは君の肉体が通って来た空間
であり、未来というのはマダ君の肉体が通らない空間で
あり、現在というものは、今刻々に君の肉体の通りつつ
ある空間である。過去も未来も現在も無限のただ一つなる
モノ、絶対無限の宇宙の一部であって、まったく消え
去ったり解消するものではない。」


つまり、「個霊」というものは、実際存在しないが、過去
という世界、記憶という世界では、立派に永遠に存在して
いると言っているわけです。

「過去という世界」「記憶という世界」を、スピリチュアル
な用語でいうなら、いわゆる「アカシックレコード」という
ことになります。

つまり、「個人の霊」とは、実際には消え去ってしまうが、
「記録」として、現代的に言えば「アーカイブ」として
宇宙のデータサーバーに刻まれ、それは永遠に保存される
ということなのです。

宇宙のデータサーバーは、もちろん無限の容量があり、
絶対にすっ飛ぶことがないのですね。

うらやましいぞ、宇宙のデータサーバー!

それはともかく、長くなってきたので、久々に前後編に
します(笑)


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  • 2016.02.13 Saturday
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