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  • 2016.02.13 Saturday
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僕らはメタファーを食べている

結局、僕がたどり着いたマクロビオティック観は
一つのメタファー(暗喩)だった。

一物全体と陰陽調和。

つまり、僕らが住む「陰陽」という二元的有限世界を
認識し、それを超えた「oneness」という一元的な
無限世界へと到達する。

これらメタフィジカル(形而上的)な統合原理を
「食物」という目に見える「シンボル」で練習する。

そう、いわば食べる瞑想・・・。

その場合、「玄米」は単なる「oneness」のメタファー
であり、無限世界を象徴するシンボルでしかない。

そう考えると、玄米の栄養学的主張とか白米は死ん
でいるとか、この有限世界で常に変化するかりそめの
幻影から自由になり、とても楽になったのでした。

しかし、それはあくまで僕にとってのマクロビオティック観。

もちろん、いろんなマクロビオティックがあっていいと
思うよ(笑)


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『つぶやき陰陽 その3』

玄米と江戸前寿司

玄米の江戸前寿司を想像してみると、ん〜こいつぁ食えねぇ。

マクロビオティックにおいて、玄米は完全食品。栄養のバランスがとても
とれています。だからネタなんて重いものは背負う必要なし。

一方白米は様々な栄養素が取り除かれているので、その分ほかの栄養素を
背負うことができる。

だから個性豊かな江戸前寿司ができるのです。

玄米を神様、白米を人間に例えると・・・

完璧な神様玄米に対して、
不完全な人間白米は完璧に近づこうと一生懸命色んな衣装をまとっているようです。

もちろん完璧な玄米も大好き。

でも、それに近づこうと色んな経験をつんでいる君たちも大好きさ。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2006年9月


ふと気がつくとカレーを食っている

いやぁ、全く暑いです。

こんな時は、ご飯も喉を通らなくなってきますねぇ。

でも麺ばっかりだと力が出ないので、やっぱりご飯を食べようと
思うのですが。。。

そんな時は、やはりインド・カレーですねぇ。

酷暑でもご飯進んじゃうもん。おそるべしインド・カレーです(笑)

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『つぶやき陰陽 その4』

みそ汁とカレー

インド料理研究家のミラ・メータさんは、カレーは日本でいう
みそ汁みたいなものと言っています。

インドのカレーは、主食に対する汁物。季節の野菜を使って
簡単にスパイスで味付けします。

季節の野菜とスパイスが日々の体を整える。まさに日本の
みそ汁と役割が同じです。

みそ汁とカレー。

全く外見が違うように見えますし、陰陽で比べてしまえば、
みそ汁は陽、カレーは陰となります。

でも、みそ汁とカレーを比較してもあまり意味がありません。

なぜならみそ汁は日本の環境「陰」に対して体を温める「陽」であり、
カレーはインドの環境「陽」に対して体を冷やす「陰」だからでしょう。

外見・陰陽が全く違うのに、そこに流れる見えない同質の意味をみる。
これがマクロビオティック的なものの見方なのでしょうか。

とりあえず、外見で人を比べることはなくなりそうです。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2006年10月


あやしいからこそ好きだった

今月から姑息な手段を導入したお陰で、10ヶ月ぶりに
ひと月、5タイトルを超えてきた!

うっふっふっふ。

あまりの暑さに、ハイテンションになってきました(笑)

僕が人生の中でいつも惹かれるキーワード。

それは、「まじめさ」よりも

そう、「あやしさ」なんだね。


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『つぶやき陰陽 その2』

食養とマクロビオティック

常々思うのですが、『マクロビィオティック』が『食養(しょくよう)』だったら、
どんなにかわかりやすいでしょう。

マクロビオティックのルーツは明治時代に活躍した軍医、石塚左玄 (さげん)さん
【1851〜1909】が提唱した食養理論にあります。
そう、この頃は単純明快、「食で病気を治す」という意味での「食養」でした。

ところが昭和に入って、桜沢如一(ユキカズ)さん【1893〜1966】という方が
食養界に君臨した時代から「食養」はいつの間にか「マクロビオティック」になって
しまいました。

いきなり、「食べて病気を治す」から宇宙の秩序、無双原理、易、陰陽、無限やら
有限やら自由やら…。

広げる広げる(笑)

これ、桜沢さんの趣味としか言いようがありません。

お陰で誰も理解できないような「マクロビオティック」という摩訶不思議な世界観を
つくってしまった。

だから「マクロビオティク」が「食養」だったら、どんなにわかりやすかっただろう。

でも、多分どんなにかつまんなかっただろう…

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2006年8月


食と意識の段階

マクロビオティックが単なるストイックな健康食として
普及し始めた頃、そのスピリチュアルな目的というか、
宇宙的なダイナミズムを示したくて、躍起になっていた
頃のコラムです。

まぁ、今でもこの考えは変わっていないのですが、
表現の仕方というか、説教臭い感じは、もうブログ
という形では書かないなぁ。

つうか、笑いがないし・・・(笑)


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私たちの現実(リアリティー)が目に見えないエネルギー体で
構成されている事を知っていれば、人は生命エネルギー
(プラーナ、カー、氣、マナ、レイキなど)という中庸性の
エネルギーを燃料として、自分(魂)の望む現実を自由に
創造していくことができます。

もし、私達が自然や宇宙の感覚から隔離された社会の中で、
目に見える物質だけが唯一の現実(リアリティー)であると、
多くの人が同意する集合意識の中で生きるならば、人は
物質(食物)を唯一のエネルギー源としなければなりません。

その場合、摂取する物質の両極性(二元性)の影響下に
おかれ、自分(魂)の望む現実を自由に創造し難くなります。

例えば、車の燃料が中庸性の生命エネルギーならば、
運転手(自分)は右(陽性)でも左(陰性)でも、自由に
選択し進むことができます。

ところがその燃料が、物質エネルギーならば、そして
その物質が右(陽性)よりであれば、運転手が左(陰性)に
行きたい場合、実は2倍のエネルギーを必要とします。

このエネルギーとは生命エネルギーのことです。

つまり、物質エネルギーのみで自分(魂)の望む現実を
創造しようとする場合、実際2倍の生命エネルギーを
消費していることになります。

おそらく、運転手は、物質エネルギーの両極性に翻弄され、
いつしか自分(魂)の望む現実の創造を忘れてしまうでしょう。

目に見える物質だけが唯一のリアリティーだと多くの人が
同意する集合意識の中で、物質エネルギーを主な燃料と
する場合、食べ物は陰陽の調和した、できるだけ中庸に
近いバランスにして摂取することが大切になります。

そのため、日常において伝統的なマクロビオティック
(陰陽バランスをとるための智恵)的な食事を心がけて
いれば、いつしか中庸性の生命エネルギーの存在に
気づいてくることになります。

肉体と生命エネルギーがリンクしてくると同時に、意識は
高次へと誘われ社会の集合意識から自由になります。

そうなると物質(食事)は、生命エネルギーの補助的な
役割へと変ります。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2006年2月


風呂敷宇宙

私の友人に何でも風呂敷で包んでしまう人がいます。

そんな友人の風呂敷包みを見ていて、思いついた
マクロビ時代のコラムです。

まぁ、今は決して書かない文体だなぁ(笑)

当時、マクロビオティックの排他性へのアンチテーゼ
が元にあったんでしょうね。

若いなぁ(笑)


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気分新たに基本に立ち戻って
“MACROBIOTIQUE”という言葉を考えてみました。

MACRO   BIO   TIQUE
大きい     生命   術

“大いなる生命”とは例えるなら、一つの“大風呂敷”みたいなもの…。
私達はこの一枚の風呂敷の端と端を両の手で掴んだとします。

ここで初めて一枚の風呂敷から

“右”=陽 “左”=陰 

が生まれます。

一枚の風呂敷から、二つの陰と陽という二元性が生まれます。
この陰と陽は、「大いなる生命」に対して「個別生命」と言えるかも
知れません。

風呂敷の端と端という「陰と陽」は「左と右」に互いに対立しています。

でも「左も右」も元々一枚の風呂敷であることには変わりありません。

だから対立していてもいつかは結ばれるのです。

「MACROBIOTIQUE」

大いなる生命という大風呂敷を意識した上で、
陰と陽という風呂敷の端と端の結び方(術)を学ぶこと。

これを人に置き換えると、私達一人一人は、風呂敷の端に
あたります。

個別生命

だから、一見対立している一人一人の個別生命を結んでいくことに
よって「大いなる生命」を生かしていくことができます。

風呂敷は端と端を結ぶことによって、より多くのものを包むことがで
ます。

一なるものから個別化、対立、そして調和へ

このプロセスをたどることで私達は、風呂敷の本当の使い方を知ります。

大いなる生命=大風呂敷の本当の使い方とは?

全てを包み込むこと

そう、これを「愛」と言います。私達は「愛」を知るためにこのプロセスを
喜んで受け入れたのです。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2005年12月


追憶という名の姑息な手段

いやぁ〜最近、なかなかブログが更新できない。

なので、手っ取り早く、更新できないかと思いつつ
このブログ以外で昔書いた記事を転載するという
姑息な手段に打ってでることにしました。(笑)

まぁ、今の私だったら、多分書かないなぁ〜という
雰囲気のものもありますし、今読んでくれている
読者の方には興味がないかも知れませんが、
気にせずに読み流してくださいな。

まず第1回目は、ある旅館のブログに連載させて
頂いた「つぶやき陰陽シリーズ」の栄えある第1回。

といっても全15回しかありません。

ふざけた語り口調で、陰陽をつぶやくという
あまりにもゆるい企画・・・。

でも、もしかして一番のお気に入りシリーズだった
かも(笑)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

『つぶやき陰陽 その1』

サーファーと陰陽図

電車に乗っているとよく、サーファーブランドのTシャツに
陰陽のマークを見ることがあります。
サーファーと陰陽かぁ。いいシンボルだなぁといつも思います。

マクロビオティックをサーフィンに例えると面白い。

寄せては返す波に逆らって進もうとする人は、多分陽性かたの人。
波に力なく流され続ける人は陰性な人。

波に逆らいもせず、流されもせず、ただ乗る人…。
これがマクロビオティックにおける中庸な人。

中庸とはある一点の場所ではなく、バランス感覚をいうのでしょうね。

サーフィンを極めた人はまさにマクロビオティックを知っている。
だから陰陽図なんでしょうね。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 2006年8月


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