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  • 2016.02.13 Saturday
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ジャンヌ・ダルクが、いろんな大人たちの思惑で、 最後に魔女裁判にかけられたような

うちにはテレビがないので、基本、世間を騒がす
ニュースにはあまり関心がないのですが、どうにも
気になるのが小保方さん関連の話題です。

何でこうも気になるのかなと考えて見ると、
今回の件は、僕らマクロビオティックに関わって
きた者にとっては、どうにも苦々しい思い出を
喚起してしまうのでしょう。

「生体における原子転換」「腸造血説」など、
マクロビオティックにおいて支持して来た学説は
いまだ学会では黙殺されて、ある意味、トンデモ説
として片付けられ、マクロビオティックそのものに
おいてもメディアでは、ここ最近まで全くと言って
いいほど無視され続けました。

今でこそ、ちょくちょくメディアで取り上げされ始め
ましたが、今だモデルさんや芸能人は、テレビで
マクロビオティックを実践していることを公言しない
ように事務所から注意されるそうです。

それは、現在のメディアが食肉業界や医薬品業界、
ファーストフード業界などの出資で成り立っている中で
「薬も肉もいらないライフスタイル」なんて到底宣伝
できませんよね(笑)

僕らもそれは合点承知の助で、あえてメディアの及ばない
オルタナティブな業界を作って、じみ〜に草の根活動で
普及する道を選んできたのです。

なぜって、あまり目立つ活動をすると、運動そのものが
アノ手コノ手で潰されちゃうからなんです。

つまり陰性な運動を気長にやって行くことによって、
陰が陽に転換する時期を待つという実にマクロビオティック
的な手法を選ばざるおえなかったわけですね。

そういう見方をして行くと、今回の「stap細胞」は、
ちょいと派手に打ち上げ過ぎたんじゃないでしょうか?

問題は、先行の万能細胞「ips細胞」との比較する形で
打ち上げてしまったことだと思うのです。

「iPS細胞より安全」
「iPS細胞にはガン化のリスクがあるが、STAP細胞にはない」
「iPS細胞より作製が簡易で早い」

上記が事実はどうか分かりませんが、「ips細胞」は
今まさに多くの大手企業が先行投資して、巨大な
ビジネスに成長し始めた大切な時期です。

以下のips細胞企業一覧をみても、テレビコマーシャルで
見ないことはないそうそうたる巨大企業ばかりです。

https://www.asset-alive.com/report.php?mode=show&rpid=2526

これらの企業にとって、「stap細胞」は、マクロビオティック
みたいなものです。

「(玄米は)薬より安全」
「肉にはガン化のリスクがあるが、玄米にはない」
「(玄米は)薬より作製が簡易で早い」

と言っているようなものです(笑)

小保方さんには、ちょいと大きすぎる相手です。
そりゃ理研も、これらの企業から圧力を加えられたら
慌てふためいて小保方切りをせざるおえないでしょう。

そんなわけで、結局のところ、目立ちすぎちゃったんですね。
それだけ、小保方さんがキャラ立ちしすぎてたんでしょうね。

上げてから落とすというのは、メディアの常套手段では
あるのですが、小保方さんの場合は、これだけ上がっちゃうと
大人たちの都合で、落とさざるおえない状況になっちゃったん
だと思いますよ。

まさにジャンヌ・ダルクが、いろんな大人たちの思惑で、
最後に魔女裁判にかけられたように。

でもまぁ、今までメディアや企業の有効だった手法が、
どこまで通用するかわからない時代になりりつつあるのも
確かです。

マクロビオティックですら、取り上げられる時代に
なりつつあるのですから(笑)

さてさて、小保方問題、今後どういう展開になるのか。

このまま闇に葬られるような簡単な時代ではないでしょうね!
 

森と棚田と海が織りなす平和食

先日、私のフィールドである西伊豆松崎町の石部棚田で
草刈り作業とその集落で3年ぶりに復活した大地曳まつり
に参加して来ました。

棚田と海のイベントを同時に経験して、あらためて、
森と棚田、そして海という日本の国土が織りなす循環を
肌で感じる二日間となりました。

「森は海の恋人」は、我々の世界では比較的メジャー
な運動ではありますが、私はマクロビオティック運動など
の食の世界にいる立場として、「森と棚田と海」という
3点の軸から、日本を捉えたいと常々思っています。

今、ユネスコの世界無形遺産に「和食(一汁三菜)」の
登録申請が進められているそうです。

日本食は、なぜ「和食」と呼ばれるのでしょうか?

これは、日本のいわゆる主食であるお米、そして山の幸
海の幸を副食にした「一汁三菜」が、環境と調和し、
人と人を和し、平和で健康に暮らせる食事だからです。

森が水をもたらし、棚田がその水で稲を育み、森と棚田
で養分に満たされた水が川から海に流れ、海の生き物を
育む。

もしも、これが水稲でなく、畑作物が主食であれば、
山は焼かれ、土壌も痩せて行きます。

もし、肉食が日本で推奨されていたら、放牧で山の緑は
食べ尽くされて行きます。

この日本の国土が、これほど緑豊かなのは、森と棚田、
そして海という水の循環をシステマティックに活用して
導き出された「和食(一汁三菜)」があったからです。

逆に言えば、この「和食」でしか、この国土を守りながら、
人々が生きていくことが出来なかったのです。

そして、この「和食(一汁三菜)」を、季節や土地に即した
食べ方で食していれば、環境は悪化せず、人々の身体の
健康も保たれるわけです。

つまり、お米を主食として、ごく僅かな山の幸と海の幸
という副食で構成された「和食(一汁三菜)」は、
そのものずばり、日本の「森と棚田と海」という環境の
循環モデルなのです。

ですので、その「和食」が世界無形遺産に登録されることは
とても意義のあることでしょう。

好きなものを好きなだけ食べて何が悪い!

と言う方の気持ちはよくわかります(笑)

しかし、「食」とは、環境なくして存在することはできません。

つまり、大袈裟に言えば、食べ物は、自分で決めるのではなく
自分が住まわせてもらっている環境が決めるのです。

そして、その環境が決めた食べ物を食べれば、自ずと自分の
健康が約束されるのですね。

マクロビオティックの思想とは、単純にこんなことなのです。
あまり、小難しく考えないでくださいね(笑)

私のフィールドである松崎町の石部棚田は、「森と棚田と海」
という循環モデルをコンパクトに体験できる稀有な集落です。

もし、「和食(一汁三菜)」が、世界無形遺産に登録される
のであれば、そのコンセプトに「森と棚田と海」という
「和食」の背景をぜひ盛り込んでいただきたい。

なんだったら、石部棚田を世界遺産に登録しても

OKですよ(笑)

 

逃げ道のある世界

「表大きければ、裏も大なり」 

これは、マクロビオティックの創始者、桜沢如一が
示した宇宙の秩序の一つですが、この僕らが生きる
相対世界には、必ず表があれば裏もある。

つまり、陽があれば陰があるという事ですね。

表というのは、光の当たる明るい、いわゆる表舞台
ですが、裏というのは光の当たらない影、つまり
裏舞台といえます。

とても当たり前でわかりきったことですね!

日本というのは、古来からこの表社会と裏社会の
絶妙なバランスで陰陽を調和した社会が営まれて
きました。

いわゆる平地という日の当たる社会と、山地という
日の当たらない社会ですね。

例えば、稲作農耕を中心とした平地での集団的生活
である表社会で、うまくいかなくなっても、日本は
列島の中心に山脈が連なっていて、そこに逃げ込めば、
山地という裏のネットワークを通じて、どこでも移動
できるし、表社会に出ずとも、山地の厳しいけれど
生き生きとした社会の中で逃げ暮らすこともできた
のです。

サンカ、マタギ、木地師、たたらなど平地の枠組み
では捉えることのできない山の民たちは、それこそ、
表社会では認知されず、差別はされるけれど、どこかで
平地民との暗黙の了解の中、お互いが助けあっていた
風情があったのです。

「逃げる」という言葉は、とかくネガティブに使われる
ことが多いですが、逃げ道のない社会というのは、
とても窮屈なものですね。

日本では、今年間3万人の自殺者がいると言います。

結局のところ現代の社会とは、陰陽という相対的価値観
を理解できない。

だから、裏社会というものに価値を置けないので、徹底的
に排除しようとするのです。

逃げ道である山は乱開発され、法律で裏の社会が存在
できないようにする。戸籍は完璧に整備され、GPSで居場所
を特定され、背番号までつけて管理しようとするわけです(笑)

これでは、表の社会でうまく行かなかった人の逃げ道が
全くなくなってしまうのです。

必然、最後の逃げ道である「死の世界」を選択するしか
方法はないのです。日本の自殺率が高いのは当然なのです。

では現代は、全く逃げ道が無くなったかというと、
そうではなく、意外や意外、足元に新たな裏の世界が形成
されつつあります。

年金制度でゆとりのある高齢者の親の家に逃げ込み、
インターネットで匿名性のあるコミュニティーを形成
することによって、裏の社会の役割を演出しています。

つまり、表の社会に出ることを辞めた引きこもりやニート
といったライフスタイルの選択の余地は、ある意味、自殺率
の抑制にはなっているのかもしれません。

とは言え、表社会がその引きこもりやニートといった人
たちを、サンカやマタギ、木地師といった裏文化人として
暗黙の了解のもとで存在性を認めない限り、陰陽の調和した
社会は構成できません。

陽がダメなら陰で生きる。陰がダメなら、陽で生きる。

表があって、裏があるから、深遠なる世界が創られるの
です。

表だけの世界なんて、ほんと薄っぺらくて面白くない!

僕は、常に表と裏を行き来したマレビトありたい(笑)



空間視力2.0

これからの時代に大切な能力といえば、「空間視力」
というものだと思うのです。

「空間視力」というのは、所謂「洞察力」なのですが、
では、この洞察力ってなんなんでしょう。

「観察力」と「洞察力」を比較して見ると、「観察」は
相手や対象物を注意深く見て判断をするという感じ
でしょうが、「洞察」とは、相手や対象物にあまり
惑わされず、深く普遍的な意味を直感的に把握する力
といえます。

と言ってもまだわかりませんよね(笑)

では「洞」ってなんでしょう?

そうそう、「空洞」ですよね。つまり「空間」です。
そうすると「空間を察する力」が「洞察力」で、それに
対して「個体を観て察する力」が「観察力」になります。

これを図にすると、

空間視力

つまり、「観察」は、自分の肉体の目による視力ですが、
「洞察」は、それを取り巻く空間の目の視力ということ
になります。

よくサッカーの中田英寿や現日本代表の遠藤保仁選手など
は「視野が広い」と言われますが、これは肉体の視野が広い
という事もあるでしょうが、実際はこの空間視力が高いという
ことなのです。

「俯瞰」とも言いますよね。頭の上に目が付いているなど
と表現もされますが、全体を見る空間視力が高いと、その
空間を共有する他者との関係性の中から、自分がどう動く
かは自然と決定するのです。

それは、「直感」とか「導き」とかとも言い換えられます。

実際、これは東洋的な感覚なので、日本人はもともと、この
空間視力が高い民族なのですが、今はあまりにも西洋的な
価値観である「個体視力」に偏ってしまっています。

実際に目に見えるもの、物質こそがリアリティだとする
西洋科学は、それを取り巻く目に見えない空間は、何も価値が
ないとものとしてしまったのですね。

マクロビオティックでは、求心力で凝縮された物質を「陽」。
そして、遠心力で拡張された空間を「陰」と捉え、その陰陽が
一つのリアリティを形成すると考えます。

インヤン

私達の肉体の目で見えるのは「陽」である物質ですが、
その物質は、それを取り巻く空間である「陰」がない
と成り立ちません。

つまり陰と陽こそが、完成されたモノの見方なのです。

ちなみに、マクロビオティックの実践者にも、あまりに
食べ物(陽)にこだわり、陽性になりすぎて、この陰空間
を見ることができない人も多いのですが・・・。

これは、我々マクロビオティックを普及する者の責任
でもありますね(笑)

ともあれ、昔から東洋で言われる「洞察」とか「直感」
とか「六感」だと、どうも神秘的すぎるので、ここは
やはり「個体視力」に対する「空間視力」として概念化
していくのも一つの手かと思います。

はてさて、皆さんの「空間視力」はどれくらいですか?

ちなみに、私は「個体視力」が0.1以下ですが、「空間視力」
は2.0を目指しま〜す!




イエス!G.O.クリスマス!

今日は12月25日ということで、メリークリスマス!

皆さん素敵なクリスマスを過ごせましたか。

クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日なので、
やっぱりイエスの言葉に耳を傾けたい日ですね。

でも、ただ聖書の引用じゃ面白くないので、ここは
桜沢如一節のイエスの言葉を見てみましょう。

桜沢如一は、海外にマクロビオティックを広げるために
西洋文化に馴染みのあるイエスの言葉をとてもよく
引用しました。

それは、東洋の無双原理の体現者たるイエスが、西洋の
キリスト教文化にさんざんに歪められ、誤解されてきた
現状の修正でもあったのです。

『東洋医学の哲学』に出てくる桜沢如一のイエス論は
本当に素晴らしいです。

これは、実際のイエスの思考法にシンクロさせて語って
いるからこそのイキイキとした描写なのです。


***********

ペテロが

「主よ、彼らがあなたを殺すなんて、そんな
コトがないようにしてください。ドーカ、主よ、
それだけは!!」

と言いました。

するとイエスは

「サタンよ!(感情や知性や理性などという低い判断に
とらわれて、最高の判断力を曇らすものよ)そんな考えが、
私たちのツマズキであるのだ。(お前はマダ相対界!
物質界にとらわれて)絶対、無限、永遠の世界(神)を
(心まで)見るコトができないのだ!」

と叱りつけました。それからイエスは声を高め、力をこめて、

「おお、私の道をついて(絶対、無限、永遠の世界の市民
となりたいモノ)来たいモノは、いっさいをすて、十字架
を背負い(最大の自己批判をしつつ)、私の言った道を
歩いてくるコトだ。この肉体を大切だと思うような(相対界
にしがみついている)モノは(絶対、無限、永遠の世界に
入っていないのだから)かえっていっさいを失い、生命
(宇宙の秩序の自己表現)を失ってしまう。私の(説いて
きた宇宙の秩序の)ために、その肉体をなげ出すモノだけが、
真の生命を得るのだ!
 全世界を自分のモノとしても、真の生命、全体、無限、
永遠の世界を失ったのでは、まったく何にもならないでは
ないか!
 しかしお前たちの中にも、まだ人の子がみな自由人(神)
であるコトを知らず、その子が無限の自由、絶対の正義、
永遠の幸福をもっているモノであるコトを目の前で見るまでは、
自分が相対界のモノ(「生命」なきモノ、死人)である
コトがわからないモノがいる!!なんという悲しいコトだ。
そんなモノのためにも私はドーシテモ、殺されても。この
道を行かなくてはならないのだ!」

と説ききかせました。イエスの決心は昔から決まって
いたのです。

『東洋医学の哲学』第6章「宇宙の秩序、人間の秩序」より

*********

基本は、マタイ伝の引用なのに、モー完全に桜沢節になって
いる(笑)

でもイエスの実像を本当にイキイキと伝えていますよね。

また別の引用で

「私は、この生き身は殺されても三日もせぬ間に世界の人々
が私の精神を(私のカラダは殺しても)このカラダを借りて
語る生命を殺すコトができなかったコトを悟るだろう。
ナゼナラ、生命こそ宇宙の秩序の表現なのだから」

とイエスの磔刑と復活の本当の意味を見事に描写しています。

現代のキリスト教の解釈である「人類の罪を浄化するために
すべての苦悩を引き受けて犠牲になった」というような悲劇的な
解釈では、イエスの魅力は特に東洋人の僕らには伝わってこない
と思います。

東洋のスーパーヒーローは、やっぱり桜沢如一の描くような
カッコいいイエスでなくっちゃね!





マクロビオティックはスピリチュアルか?

僕にとって、「スピリチュアル」というものは、
遊びというか、プラベートというか、決して現実社会
で公にするものではありませんでした。

ところが最近、仕事の現場でも「スピリチュアル」と
いう概念を避けて通れない時代になりつつあります。

特に医療系の仕事などでは・・・。

そもそも、「スピリチュアル」って何ぞや?

と言った時には、東大の島薗進さんなんかの定義は
参考になると思うのですが、ここではそんな小難しい
ことを書いても仕方ありません。

スピリチュアルというのは日本語では「霊的」と
訳しますが、結局のところ、身体を超えた「霊」を
一つのリアリティーとして積極的に認めて行くか
ということだと思うのです。

ところで、マクロビオティックはスピリチュアルか
という大きな難問もあります(笑)

正直なところ現代のマクロビオティックは、身体を
超えた世界はあまり想定していません。

あくまで、「食と身体と心の世界」に留めています。

ところが、その創始者の桜沢如一の世界観は、全く
身体を超えた世界が提示されていて、心が無限の
「oneness」に広がっているというのは、もうバリバリ
スピリチュアルな考え方なんですね。

でも、マクロビオティックをスピリチュアルだと
言った場合、いまの時流では概ね好意的に思われ
ません。

というのは、これは全般的な傾向だと思うのですが、
スピリチュアル=江原さん的世界観だと誤解される
のを恐れるのだと思います。

江原さんの功績というのは、スピリチュアルという
世界観を怪しげな所から一般的な世界へ広げたこと
だと思うのですが、そこにはメリット・デメリットと
言うのがあって、スピリチュアル=死後の人格霊、
守護霊や輪廻転生といった、いわゆる「個別的霊」
というレベルでの世界観に押し込んでしまった観が
あるわけです。

本来身体を超えた「霊性」を考える場合、身体という
時空間を超えた世界を想定するわけです。

であるならば、究極的には「無限、絶対、永遠、そして
個別性を超えた普遍的なスピリット、一なるもの、
oneness」といった広がりこそが「霊性」ということ
になるはずです。

そこを江原さんは、より身近な人間的世界観を「霊性」
に投影させて、一般の人の思考でも理解できる身近な
「霊的世界」を提案したということでしょうか。

まぁでも、これは別に江原さんに始まったことではなく
何時の時代にでもあることなのですが、「個霊」にあまり
にこだわり過ぎると、これは必ず宗教システムとリンクし
始めます。

だからこそ、桜沢は、『宇宙の秩序』などでも書いて
いますが、「個別的霊」というものを全くこの世界と
同じように幻想だと問題にしなかったのです。

スピリットの本質は、「無限、絶対、永遠で一なる
もの」だと。

そして、この一つのスピリットが、「陰陽→光のエネルギー
→素粒子→大地→植物→人間」に宿っていることが、
「霊性」そのものなのです。

この辺を洗練して展開をしたのが久司道夫さんかも
しれませんね。

はてさて、マクロビオティックはスピリチュアルか?

これは、「スピリチュアル」というものの定義で変わって
くるので何とも言えませんね(笑)

同じようにWHOが健康の定義に加えた「スピリチュアル」
や医療の現場で使われる「スピリチュアル・ケア」などなど。

これらもどういう定義か少し勉強してみなくては・・・。

でも科学とスピリチュアルがつながる世界は少しずつ
近づいているのかな。



身体という発電機

身体を発電機として捉えるならば、僕らは何をエネルギー源
とするのだろう。

当たり前だろうが、僕らは、食物の中の栄養素を燃やして、
エネルギーに還元している。

つまり、動力源は、食べ物、さしづめ胃袋は、発電所に
おける格納容器でしょうか(笑)

ことさら身体を機械論として捉えることの危険は重々承知の
上でのお遊びです。

マクロビオティックと言えども、良質でナチュラルな食物を
燃やしてエネルギーに還元するということであれば、既存の
エネルギー論とあまり変わらないと言えるでしょう。

つまり、自然界にあるよりクリーンで持続可能な燃料を
燃やしていこうと言うことですね。

当たり前ですが「燃やす」ということは、何らかの「燃えカス」
を作るということになります。

結局のところ、その「燃えカス」が身体に与える影響のリスク
は、「発電」が環境に与えるリスクとほぼ同じ原理で考えられる
かもしれません。

マクロビオティックで肉を極力食べないのは、肉は、燃焼させて
大きなエネルギーを得ることが出来ますが、その分、身体にとって
危険な廃棄物が大量に出るからということになります。

それは、いずれ大きな事故を起こして、身体という環境を蝕む
汚染地帯をつくるかもしれません。

そうすると前にも書きましたが、ガンと原子力発電事故は、
ほぼ同義語になります。

つまり、身体論とエネルギー論を同義語にするといろいろ面白い
ことがわかって来ます。

そこで、はたと僕は考えるわけです。

果たして、マクロビオティックは、良質でナチュラルな食物を
燃やして、身体にやさしいエネルギーを使っていきましょう
というキャッチコピーでいいのだろうか(笑)

いやいや全然面白くないでしょう。

マクロビオテックは、宇宙に充満する無限のフリーエネルギー
を取り出して、皆様にタダでエネルギーをお分けします。

なんて言う方がかっこいいね。

エネルギー論のパラダイムシフトを起こすには、身体の
パラダイムシフトも同時に起こさないとね。

最近マクロビオティックの使命は、身体のパラダイムシフト
を提案することにあるのではないかと、ふと思うように
なりました。

つまり、桜沢如一が提案した「七号食」というものは、僕らが
考えているような燃料を燃やす的な旧来のエネルギー論ではない
のですね。

おそらくは、身体の中で、フリーエネルギーを活性化する
まったく新しいエネルギー論なのだと思うのです。

たぶん、イネ科の穀物を上下(▽△)に噛むという構造に
フリーエネルギーを活性化する秘密があるということですね。

いわゆるゼロポイントエネルギーです。

モー、胃袋という格納容器の問題ではないのです(笑)

もちろん「穀物」自体は有限の代物です。でも「穀物」は
食べ物ではなく、フリーエネルギーの着火装置なのです。

日本人が長らく守って来た「米」こそが、身体のフリーエネルギー
を活性化する幾何学的アイテムなのです。

そこには、もちろん「珪素の結晶構造」の問題も孕んでいます。

これこそ、マクロビオティック的パラダイムシフトですね(笑)

身体のパラダイムシフトが起これば、必然的にエネルギー問題の
パラダイムシフトが起こって来ます。

人類もやっとフリーエネルギーの世界に入って来るということ
ですね。


さてさて、これを読んでイラッときた科学的思考の皆さん!
SFなんでゆるしてね(笑)



半導体=ケイ素=イネ

先日、秋田から宇宙人仲間が遊びに来てくれた。

そこで、とても興味深い宇宙情報をいただいたので、
ちょっと考察してみたいと思います。

現在、僕らが使っているパソコンなどの電子機器が
なぜ、人工知能と言われるほどまでに複雑なことが
できるのか?

それは、パソコン内部に埋め込まれている「半導体」
が、それを可能にしているそうです。

「半導体」とは、電気を通す「導体」と電気に抵抗
して通さない「不導体(絶縁体)」の中間的な性質
を示す物質で、この物質にある種の加工を加えた
半導体ディバイスが、電気をON、OFFするスイッチング
機能を可能とし、そのスイッチングを複雑に組み合わせた
集積回路(IC)が現在のパソコン等を複雑に制御して
いるそうなのです。

つまり、マクロビオティック的に言えば、電気を通す
物質をたとえば「陽」とするならば、電気を通さない
物質が「陰」となります。

この二つのパターンを、中間(中庸)で、スイッチング
する単純な仕組みが、今の複雑な世界を成り立たせて
いるというのです。

そして、この半導体デバイスの元となる半導体物質
というのが、元素番号14の「ケイ素(シリカ)」なの
だそうです。

それが、どうしたの?

あはは、まったくそうですね。科学に興味がない人には
どうでもよいお話ですが、実は、この「ケイ素」を地中
から、集める代表的な集積植物があります。

それが、実は「イネ科」なのだそうです。

俄然、面白くなって来ました(笑)

人間を人間たらしめているものは、他の動物にはない
その複雑な環境対応です。

つまり、この理論展開をするならば、人間にも何らか
の高性能な「半導体ディバイス」が埋めこまれている
可能性があります。

「半導体」=「ケイ素」=「イネ科」

マクロビオティックでは、人間を人間たらしめるもの
は「穀物食」だと主張します。

そこに、「ケイ素」というキーワードから、「半導体」
つまり、「判断力」という高性能なスイッチング機能
の進化を見つけることが出来れば、マクロビオティック
もかなりな未来科学技術になるかもしれませんね(笑)

もう一つ、ここからは完全な妄想展開です。

僕は、パソコンで言うところの半導体の集まりである
集積回路(IC)に当たるところを、人間で言えば「間脳」
だと考えています。

おそらく「間脳」は、左右の脳のスイッチャーでしょうね。

このスイッチーが高性能に機能している時は、人間は、
複雑多岐な環境対応をやってのけますが、この機能が
劣化しているならば、環境対応が不能な自律神経失調
状態になるかもしれません。

そして、もう一つ注目したいのが、その間脳を構成する
小さな豆粒であるところの「松果体」です。

この「松果体」は、おそらく、間脳という複雑な集積回路
の原点である「半導体」でしょうね。

そして、この松果体は、まさに「ケイ素」で出来ている
そうです。

松果体は、人間の霊性と深く関わる回路といえます。

つまり、天のエネルギーの「半導体」なわけですね。

高次のエネルギーのスイッチング、そして情報処理として
の左右の脳のスイッチング、この高度な集積回路である
ところの「間脳」が、人間を人間たらしめている。

そういえば、「人間」という字そのものも、「二つの間」
と言えますね(笑)

ここに「ケイ素」をより多く含む「イネ科」の植物が深く
関わっているならば、穀物を食べた人間が「万物の霊長」
といわれる科学的な根拠が出てくるかもしれませんね。

最後に、僕はだからといって「ケイ素」が大事だよ!
「ケイ素」をたくさん取りなさいというサプリメント
ビジネス的な方向性にはまったく興味がありません。

今回、友人の宇宙人が僕に伝えてくれたことは、「中庸」
とは「スイッチング」なのだということ。

つまり、状況によって「陰陽」を高性能にスイッチング
できること。そして、それが「最高判断力」なのだという
ことなのでした。

「陽」が大事なのでも、「陰」が大事なのでもない。

それを、柔軟にスイッチングできること。

そこに、我らがイネ科の長「米」が関わっているならば、
それはそれで、とてもワクワクすることですね!



二本を一本にする道

いや〜、先月は一本しか記事書いてない(笑)
2/2なので、せめて2本目の記事でも書きますか…。

5,6年前にあやし〜ブログで「マクロビオティックに
五行論は必要か?」という壮大な論文を書いたことが
あります。

それは、「マクロビオティック=陰陽五行論」だと思って
いる人が思いの外多くて、それを憂いて書いたのだと
思います。

最近、またマクロビオティックの仕事に関わるように
なって、マクロビオティックの現状を垣間見ることに
なったのだけど、やはり、変わってないというか、
ますます、マクロビオティックが五行論的世界になって
いるなぁと感じます。

まぁ、僕も結構大人になっているので、そんな現状に
対して憂うこともないのだけど(笑)

そもそも、マクロビオティックはなんで「陰陽、陰陽」
言うのでしょう。

マクロビオティックが、あまりに「陰陽、陰陽」うるさい
ので、ベジタリアンに転向するなんて人も多いのでは
ないでしょうか(笑)

まったくもって致し方ないことですね!

なぜなら、マクロビオティックというのは、単なる食物
による健康法ではなくて、いわゆる「宇宙と一体となる」
というような哲学的世界観を内包しているからです。

つまり、どちらかと言うと「茶道」「華道」「柔道」
「剣道」「合気道」などに近いモデルなのです。

まぁ言ってみれば「食道」といった感じでしょうかね。

東洋の「道(タオ)の原理」というのは、「一なる世界」
に至る「道」だと思うのです。

マクロビオティックで、食べ物やこの世界の現象を
すべて陰と陽に分けて見るというのは、そもそも「陰陽」
は「一なる世界」の左右の両腕で、その陰陽が調和する
ことで「一なる世界」に戻れると考えるからです。

つまり、この複雑な現象世界を陰陽という単純な二元論
で考える事で、「一なる世界」のリアリティーに近づく
ことが目的とされているのですね。

「二本を一本にする」という単純な発想なのです(笑)

例えば、柔道なんていうのは、勝ち負けを争うスポーツ
ではないじゃないですか。

自分と相手という「陰陽」があって、技をかける方と
技を受ける方が、見事に美しく一体化したとき「一本」
という宇宙が体現されるわけです。

そもそも「日本」というのは、「二本」という陰陽を
「一本」に調和させる国として創造されているのだと
思うのです。

だから勝ち負けが目的にならない国なんですね(笑)

さてさて、五行論の話に戻るのですが、五行論は、
「陰極まって陽になり、陽極まって陰になる」という
陰陽論の循環思想という一部分を細分化した、
カテゴリテー的には一個下の体系なんです。

ただこれを知っていると、相手の裏をとるのにとても
有効なんですね。

だから相手に勝つためには、とても戦略的に役に立つ…。

つまり戦争に勝つとか、病気に打ち勝つとか、人心を
掌握するとかね。

だけどこの五行論を身につけたところで、マクロビオティク
の本質はなかなか分からないと思うのです。

マクロビオティックの陰陽とは、相手と一体となる感覚
に醍醐味があるのです。

つまりマクロビオティックを実践している人と会っただけ
で幸せになって病気が治っちゃう。

また、マクロビオティックを実践している人と出会った
だけで、勝ち負けなんて関係なくなっちゃう。

はたまた、マクロビオティックを実践している人と知りあう
だけで、人生の目的が変わっちゃう。

なんてね(笑)

そんな人を目差すのが「マクロビオティックの道」なんだと
思うのです。

というわけで、五輪のある年には、必ず同じようなことを
書いている気がしてきた(笑)

このブログのマンネリ感…。

そろそろ、変態する時期かな(笑)




静寂と波紋の宇宙の中で

なんで心が落ち着いて、平和で満たされた気分の時と、
こころが落ち着かず、揺らいだ気分の時があるのだろう…。

それは、僕らが二つの宇宙のどちらかを選択して生きているから。

なんて考えてみる。

そこで、図にしてみる。


静寂と破門


最近、物理学の最先端などでは、無から宇宙が生まれた
なんていわれる。

無に一点の量子的ゆらぎが起こり、そのほんの僅かな
ゆらぎがインフレーションを起こし、いま僕らが生きている
物理的宇宙を創ったというような。

静かな水面に一滴のしずくが垂れると波紋が広がります。

つまり僕らが住んでいるように思える宇宙は、ゆらゆらと
揺らいで広がる波紋のようなもの。

これをマクロビオティックでは、静寂で変化のない水面を
「無限宇宙」、陰陽に波立つ動的な波紋を「有限宇宙」と
いいます。

なぜ、僕らが生きているかと思える物理的空間に、相反する
ものがあるかという理由は、これで簡単にわかりますね。

男と女、昼と夜、喜びと悲しみ、戦争と平和、愛と憎しみ
光と影、善と悪、生と死…。

これらは、すべて波紋という波形のズレによって見える陰と陽
の交換の現れなのでしょう。

つまり、僕らの心が揺れるのは、陰と陽のゆらぎともいえる
かもしれません。

では、逆に僕らの心が落ち着いて、静けさと平安の中にある時
はどうなのだろう。

それは、僕らが陰陽という波紋宇宙ではなく、波立たない静寂
な水面宇宙にいるからではないのだろうか。

だとすれば、宇宙には波立たない水面宇宙と、陰陽が波立つ
波紋宇宙が同時に存在していることになる。

そこで再び考える…。

僕らは、いつも陰陽の波立つ波紋宇宙で、心がゆらいでいる。
あたかも、この変化と流動的な世界がすべてだと感じている。

でも、実際お風呂で、一滴の水滴を垂らしてみてると、波紋は
一瞬で消えてしまう。

そして、そこには相変わらず波立つことのない静かな水面が
続いている。

果たして、どちらが実態なのだろうか。

波紋は、実態だろうか。

波紋は、真実であろうか。

僕らの心が、波紋の波にのるならば、僕らの心はゆらぎながら
中心から分離して、遠くへ引き裂かれると感じるかもしれない。

でも、僕らの心が水面であるとすれば、波紋は単なる一瞬の夢か
幻のように感じるかもしれない。

僕らの心が波紋にのる時、僕らは何か大いなるものから破門
されていると感じるのかもしれない。

「波紋と破門」

イマイチ落ちにならない。


はぁ〜とため息をついて

そして、もんもんとして考える…。

「はぁ〜もんもん」


別に落ち付けなくても…。

という神様の声が聞こえる。

静寂と波紋の宇宙の中で…。




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