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  • 2016.02.13 Saturday
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この世界は、なぜ戦争が無くならないのだろう?

広島・長崎、そして15日の終戦記念日、今年は「集団的自衛権」
の話題も相まって、「戦争と平和」というテーマを考える人も
多いのではないでしょうか。

「この世界は、なぜ戦争が無くならないのだろう?」

たぶん、この疑問は誰もが思うところでもあると思います。

日本人の僕らにとって、「戦争」が無いことは、今や当り前のような
感覚で捉えていますが、人類の歴史において有史以来、「戦争」が
無かったことはほとんどありません。

つまり、この世界に、男と女がいるように、はたまた夜と昼がある
ように、「戦争と平和は常にある」と、そろそろ考えた方がよいの
かもしれません。

もし「男」に「女」が必要なように、僕らが考える「平和」という
ものに、そもそも「戦争」が必要であったらどうでしょう?

もしかしたら、僕らは戦争があるから平和を実感でき、平和が
あるから戦争を求めるのだとしたら。

これは、この世界の「相対性」、はたまた「二元性」を考える上で
持っていこいのテーマです。

僕らが「平和だな」と感じる時、いったいどういう構造で「平和」
と感じているのでしょうか。

たぶん、「戦争」がある悲惨な地域をニュースなどで見て、自分たち
の地域は「平和」だと考えるかもしれません。

はたまた、辛い人生を送っている人や、苦しい立場にいる人を見て
「自分は平和だな」と思うかもしれません。

そういった比較して得られる「平和」というのは、「相対的平和」と
いって実際、「戦争」という比較対象があるからこそ得られる「平和感」
ということになります。

この場合、長らく「平和」が続くと、その平和感が感じにくくなって
来るので、どうしてもその平和感を揺るがす対象が必要となってきます。

これは、意識的と言うよりも無意識的に求めると言った方がよいかも
しれません。

今の日本もまさにそういった平和感のマンネリ化が、戦争という刺激を
どこかで求めているように思えます。

「戦争」という種の投下は、人々を刺激します。

反対する人も同じです。「戦争反対」という戦いを行えることによって
アドレナリンが分泌されます。

「平和」を守るための「戦い」は、人類にとって一番の好物となり得る
のです。

それでは、この世界から「戦争」がなくなることはないのか?

人々が相対的な平和を求めている限りは、「戦争」は決して無くならない
でしょう。

「戦争」がなくなるためには、そもそもこの世界の相対性という
無限ループから、僕らのこころが抜けださなくてはなりません。

つまり、世界が、そして自分の身の回りが、戦争状態であろうが、
平和状態であろうが、僕らは常に変わらぬ平和なこころでいる
ことができるか?

平和なこころで、「戦争」を、そして「戦争をする人たち」をゆるせるか?

逆説的に聞こえるかもしれませんが、これが相対性という無限ループを
超えた「絶対的平和」というものなのかもしれません。

相対的平和から絶対的平和へ、多くの人々のこころが移行すれば、
この世界に「戦争」そのものが必要なくなる。

逆に言えば、この世界にいまだ「戦争」があるなら、僕らのこころは
いまだ「戦争」を必要としているとも言えるのかもせれませんね!

 

最近、神オーラがなくなった?

JUGEMテーマ:こころ
つい先日、ある人に「最近、神オーラがなくなった?」
と言われました(笑)

もともと「神オーラ」なんてありませんが、確かに
スピリチュアル的な発言は影を潜め、どこで仕入れてきたか
わからないような不思議な情報で、回りを圧倒するようなこと
なくなってきました。

そいう意味では、僕もやっと「普通の男の子」に戻りつつ
あるのかもしれません。

と言っても、もう40半ばですが(笑)

理由としては、やはり年齢的なものでしょうか?
立場的にも、そうそう不思議な事ばかり言ってられなくなり
蓄積される知識やしがらみが、30代までの自由なインスピレーション
を阻んでいるのかもしれません。

また、最近は携帯はまだ持っていないのですが、タブレッドを持ち
常に巷の情報の中にいるようになり、いわゆるスピリチュアルな
次元にアクセスする時間が少なくなってきたとも言えます。

でもね、実はもっと大きな理由があるのです。

それは、「ACIM(奇跡のコース)」というメソッドを実践したが
ためのこころの変化ということです。

つまりね、コースを実践してから、「特別な情報」というものが
自分の中で必要ではなくなってしまったのです。

そして、そのみんなが知らない「特別な情報」を伝えることによって
人々の「悩み」や「苦しみ」を癒やしたいという欲求が無くなって
しまったのです。

そもそも人々の悩みや苦しみ、人類や地球の危機的な状況という
ものが、実際には「無い」ということに気がついてしまったのです。

ゆえに「それら」を逆転させる「特別な方法」や「特別な人」も
必要ないと知ってしまったのです。

多分「神オーラ」なるものが僕にあったとしたら、それは僕が
「特別な方法」を知っている「特別な人」としての使命感や自負の
現れだったのでしょう。

そして、それがある種の「鎧」だった事は、今になってよくわかります。

だから、今は「最近、神オーラがなくなった?」と言いわれるのは
結構本望なのです(笑)

「普通:特別」

これは、いわゆるスピリチュアルな思想の中にも巣食う相対性という
落とし穴です。

僕は、この「普通」と「特別」という相対性を超えた、絶対的な領域
の中で、やっと「鎧」を脱ぐことができるようになったのかもしれません。

というわけで、僕は…

「普通の男の子に戻ります!」

と言っても、もう40半ばですが(笑)



 

空っぽなんです

ついにね、言いたいことがなくなったんです(笑)

世界に対して。

ある意味、この世界をどうにかしたいという欲求が、言葉になるわけで。

その言葉によって構築されるアイデアで、世界を変えたいという意欲が
あって、手が動き出すわけで。

そして、その世界に対する影響力を推し量って、自分というアイデンティティ
を確認したかったわけなんです。

僕は今、ある意味、人生においての大転換の最中にいるのかもしれません。

実体と思しき、世界が消え。
その世界との相対の中で存在する自己が消滅し。

今まで僕が僕だと思う僕は、完全に無に帰そうとしています。

そう空っぽなんです(笑)

そして、静寂なんです。
それは、どこまでも続く平穏なのです。

これから何を書いて行こうか。

多分、何かを書くとしたら、今までとは、全く違う言葉になるのかもしれません。

空っぽの中から自然と湧きだしてくる言葉。

言葉にはならないかもしれない言葉。

書ける時が来るかもしれないし、来ないかも知れない。

まぁ、そんな心持ちでいる今日このごろなんです。

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