身体という発電機

身体を発電機として捉えるならば、僕らは何をエネルギー源
とするのだろう。

当たり前だろうが、僕らは、食物の中の栄養素を燃やして、
エネルギーに還元している。

つまり、動力源は、食べ物、さしづめ胃袋は、発電所に
おける格納容器でしょうか(笑)

ことさら身体を機械論として捉えることの危険は重々承知の
上でのお遊びです。

マクロビオティックと言えども、良質でナチュラルな食物を
燃やしてエネルギーに還元するということであれば、既存の
エネルギー論とあまり変わらないと言えるでしょう。

つまり、自然界にあるよりクリーンで持続可能な燃料を
燃やしていこうと言うことですね。

当たり前ですが「燃やす」ということは、何らかの「燃えカス」
を作るということになります。

結局のところ、その「燃えカス」が身体に与える影響のリスク
は、「発電」が環境に与えるリスクとほぼ同じ原理で考えられる
かもしれません。

マクロビオティックで肉を極力食べないのは、肉は、燃焼させて
大きなエネルギーを得ることが出来ますが、その分、身体にとって
危険な廃棄物が大量に出るからということになります。

それは、いずれ大きな事故を起こして、身体という環境を蝕む
汚染地帯をつくるかもしれません。

そうすると前にも書きましたが、ガンと原子力発電事故は、
ほぼ同義語になります。

つまり、身体論とエネルギー論を同義語にするといろいろ面白い
ことがわかって来ます。

そこで、はたと僕は考えるわけです。

果たして、マクロビオティックは、良質でナチュラルな食物を
燃やして、身体にやさしいエネルギーを使っていきましょう
というキャッチコピーでいいのだろうか(笑)

いやいや全然面白くないでしょう。

マクロビオテックは、宇宙に充満する無限のフリーエネルギー
を取り出して、皆様にタダでエネルギーをお分けします。

なんて言う方がかっこいいね。

エネルギー論のパラダイムシフトを起こすには、身体の
パラダイムシフトも同時に起こさないとね。

最近マクロビオティックの使命は、身体のパラダイムシフト
を提案することにあるのではないかと、ふと思うように
なりました。

つまり、桜沢如一が提案した「七号食」というものは、僕らが
考えているような燃料を燃やす的な旧来のエネルギー論ではない
のですね。

おそらくは、身体の中で、フリーエネルギーを活性化する
まったく新しいエネルギー論なのだと思うのです。

たぶん、イネ科の穀物を上下(▽△)に噛むという構造に
フリーエネルギーを活性化する秘密があるということですね。

いわゆるゼロポイントエネルギーです。

モー、胃袋という格納容器の問題ではないのです(笑)

もちろん「穀物」自体は有限の代物です。でも「穀物」は
食べ物ではなく、フリーエネルギーの着火装置なのです。

日本人が長らく守って来た「米」こそが、身体のフリーエネルギー
を活性化する幾何学的アイテムなのです。

そこには、もちろん「珪素の結晶構造」の問題も孕んでいます。

これこそ、マクロビオティック的パラダイムシフトですね(笑)

身体のパラダイムシフトが起これば、必然的にエネルギー問題の
パラダイムシフトが起こって来ます。

人類もやっとフリーエネルギーの世界に入って来るということ
ですね。


さてさて、これを読んでイラッときた科学的思考の皆さん!
SFなんでゆるしてね(笑)



半導体=ケイ素=イネ

先日、秋田から宇宙人仲間が遊びに来てくれた。

そこで、とても興味深い宇宙情報をいただいたので、
ちょっと考察してみたいと思います。

現在、僕らが使っているパソコンなどの電子機器が
なぜ、人工知能と言われるほどまでに複雑なことが
できるのか?

それは、パソコン内部に埋め込まれている「半導体」
が、それを可能にしているそうです。

「半導体」とは、電気を通す「導体」と電気に抵抗
して通さない「不導体(絶縁体)」の中間的な性質
を示す物質で、この物質にある種の加工を加えた
半導体ディバイスが、電気をON、OFFするスイッチング
機能を可能とし、そのスイッチングを複雑に組み合わせた
集積回路(IC)が現在のパソコン等を複雑に制御して
いるそうなのです。

つまり、マクロビオティック的に言えば、電気を通す
物質をたとえば「陽」とするならば、電気を通さない
物質が「陰」となります。

この二つのパターンを、中間(中庸)で、スイッチング
する単純な仕組みが、今の複雑な世界を成り立たせて
いるというのです。

そして、この半導体デバイスの元となる半導体物質
というのが、元素番号14の「ケイ素(シリカ)」なの
だそうです。

それが、どうしたの?

あはは、まったくそうですね。科学に興味がない人には
どうでもよいお話ですが、実は、この「ケイ素」を地中
から、集める代表的な集積植物があります。

それが、実は「イネ科」なのだそうです。

俄然、面白くなって来ました(笑)

人間を人間たらしめているものは、他の動物にはない
その複雑な環境対応です。

つまり、この理論展開をするならば、人間にも何らか
の高性能な「半導体ディバイス」が埋めこまれている
可能性があります。

「半導体」=「ケイ素」=「イネ科」

マクロビオティックでは、人間を人間たらしめるもの
は「穀物食」だと主張します。

そこに、「ケイ素」というキーワードから、「半導体」
つまり、「判断力」という高性能なスイッチング機能
の進化を見つけることが出来れば、マクロビオティック
もかなりな未来科学技術になるかもしれませんね(笑)

もう一つ、ここからは完全な妄想展開です。

僕は、パソコンで言うところの半導体の集まりである
集積回路(IC)に当たるところを、人間で言えば「間脳」
だと考えています。

おそらく「間脳」は、左右の脳のスイッチャーでしょうね。

このスイッチーが高性能に機能している時は、人間は、
複雑多岐な環境対応をやってのけますが、この機能が
劣化しているならば、環境対応が不能な自律神経失調
状態になるかもしれません。

そして、もう一つ注目したいのが、その間脳を構成する
小さな豆粒であるところの「松果体」です。

この「松果体」は、おそらく、間脳という複雑な集積回路
の原点である「半導体」でしょうね。

そして、この松果体は、まさに「ケイ素」で出来ている
そうです。

松果体は、人間の霊性と深く関わる回路といえます。

つまり、天のエネルギーの「半導体」なわけですね。

高次のエネルギーのスイッチング、そして情報処理として
の左右の脳のスイッチング、この高度な集積回路である
ところの「間脳」が、人間を人間たらしめている。

そういえば、「人間」という字そのものも、「二つの間」
と言えますね(笑)

ここに「ケイ素」をより多く含む「イネ科」の植物が深く
関わっているならば、穀物を食べた人間が「万物の霊長」
といわれる科学的な根拠が出てくるかもしれませんね。

最後に、僕はだからといって「ケイ素」が大事だよ!
「ケイ素」をたくさん取りなさいというサプリメント
ビジネス的な方向性にはまったく興味がありません。

今回、友人の宇宙人が僕に伝えてくれたことは、「中庸」
とは「スイッチング」なのだということ。

つまり、状況によって「陰陽」を高性能にスイッチング
できること。そして、それが「最高判断力」なのだという
ことなのでした。

「陽」が大事なのでも、「陰」が大事なのでもない。

それを、柔軟にスイッチングできること。

そこに、我らがイネ科の長「米」が関わっているならば、
それはそれで、とてもワクワクすることですね!



愛とカルマなリアリティー

今日は、ベタ・スピリチュアル な記事になります。

アレルギーの方、要注意です!

マスクならぬ、目隠しをしてください(笑)

このブログに、「愛とカルマ」のことについて書いてある
記事はどれですか?という質問を頂きました。

とくにまとまって書いた記憶もありませんが、探すのも
面倒なので、新たに書くことにしました。

これが一番てっとりばやい(笑)

さて、「愛とカルマ」というテーマ…。

スピリチュアルの中でも、とりわけ少女漫画チックで、
ボーイズには、なかなか難易度の高い話題ですね。

「愛」

おいおい、どのつらさげて「愛」を語っちゃうの。

「カルマ」

う〜ん、なんか非合理的で、カルト的な匂いがする。

なんてね。

というわけで、「愛とカルマの法則」を「図」にしてみました。

どんなわけだよ(笑)


愛とカルマ


まぁ、簡単にいっちゃえば、「カルマ」っていうのは、
「原因と結果の法則」だと思うのです。

「原因」がなければ、「結果」はありません。はたまた、
「結果」がなければ、「原因」もありません。

つまり、「原因と結果」というのは、完全に「陰陽」という
二元性の世界の法則ですね。

私達が、「世界」と感じているこの二元性の時空間では、
この「原因と結果の法則」から逃れられることはできません。

そして、「生と死」も、二元性の世界の「原因と結果」です。

「生」があるから「死」があり、「死」があるから「生」が
あるわけです。

ですから、「原因と結果の法則」とは、私達の「生死」をも
貫いているのです。

だから、過去生で行ったことが、現世で結果を見ることなどが
当然ながらありうるわけですね。

はたまた、現世で行ったことが、来世に影響を与えることも
当然起こりうることです。

でも、このどうしようもなく逃れられない「カルマ」というと、
皆さんどうも絶望的な気分になっちゃいますよね(笑)

だから、ある種の宗教なんてのは、この逃れられない雰囲気の
「カルマ」を上手く利用して、信徒を増やすのですね。

ただ、僕にとっては、二元性の世界は、むしろ非現実的な世界です。

一元的な世界が、真のリアリティーです。

ですから、誰でも、この一元的思考を身につければ、その瞬間
二元性のカルマは空無化してしまいます。

一元的思考は、そのまま「愛」と呼び変えられるかもしれません。

「愛」が「原因」になれば、二元的世界、つまり、僕らが今現実
だと思っている「世界」は、「愛の結果」になるはずですね。

二元性の「原因と結果」という無限ループからどうやって抜け出すか…。

それは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」よろしく、三角形の頂点から
垂れ下がるロープなのか。

はたまた、天上の光輝く扉に続く長い長い階段なのか。

いずれにせよ、僕らが「救われる」ということは、三角形の底辺で
原因と結果の無限ループの中で生きるのではなく、三角形の頂点で
「愛」を原因として生きることだといえるかもしれませんね。

「愛」を原因として生きる?

それって、神様しかできないでしょう…。

じゃあ、僕らもそろそろ

「神様」としてい生きなくちゃね(笑)




二本を一本にする道

いや〜、先月は一本しか記事書いてない(笑)
2/2なので、せめて2本目の記事でも書きますか…。

5,6年前にあやし〜ブログで「マクロビオティックに
五行論は必要か?」という壮大な論文を書いたことが
あります。

それは、「マクロビオティック=陰陽五行論」だと思って
いる人が思いの外多くて、それを憂いて書いたのだと
思います。

最近、またマクロビオティックの仕事に関わるように
なって、マクロビオティックの現状を垣間見ることに
なったのだけど、やはり、変わってないというか、
ますます、マクロビオティックが五行論的世界になって
いるなぁと感じます。

まぁ、僕も結構大人になっているので、そんな現状に
対して憂うこともないのだけど(笑)

そもそも、マクロビオティックはなんで「陰陽、陰陽」
言うのでしょう。

マクロビオティックが、あまりに「陰陽、陰陽」うるさい
ので、ベジタリアンに転向するなんて人も多いのでは
ないでしょうか(笑)

まったくもって致し方ないことですね!

なぜなら、マクロビオティックというのは、単なる食物
による健康法ではなくて、いわゆる「宇宙と一体となる」
というような哲学的世界観を内包しているからです。

つまり、どちらかと言うと「茶道」「華道」「柔道」
「剣道」「合気道」などに近いモデルなのです。

まぁ言ってみれば「食道」といった感じでしょうかね。

東洋の「道(タオ)の原理」というのは、「一なる世界」
に至る「道」だと思うのです。

マクロビオティックで、食べ物やこの世界の現象を
すべて陰と陽に分けて見るというのは、そもそも「陰陽」
は「一なる世界」の左右の両腕で、その陰陽が調和する
ことで「一なる世界」に戻れると考えるからです。

つまり、この複雑な現象世界を陰陽という単純な二元論
で考える事で、「一なる世界」のリアリティーに近づく
ことが目的とされているのですね。

「二本を一本にする」という単純な発想なのです(笑)

例えば、柔道なんていうのは、勝ち負けを争うスポーツ
ではないじゃないですか。

自分と相手という「陰陽」があって、技をかける方と
技を受ける方が、見事に美しく一体化したとき「一本」
という宇宙が体現されるわけです。

そもそも「日本」というのは、「二本」という陰陽を
「一本」に調和させる国として創造されているのだと
思うのです。

だから勝ち負けが目的にならない国なんですね(笑)

さてさて、五行論の話に戻るのですが、五行論は、
「陰極まって陽になり、陽極まって陰になる」という
陰陽論の循環思想という一部分を細分化した、
カテゴリテー的には一個下の体系なんです。

ただこれを知っていると、相手の裏をとるのにとても
有効なんですね。

だから相手に勝つためには、とても戦略的に役に立つ…。

つまり戦争に勝つとか、病気に打ち勝つとか、人心を
掌握するとかね。

だけどこの五行論を身につけたところで、マクロビオティク
の本質はなかなか分からないと思うのです。

マクロビオティックの陰陽とは、相手と一体となる感覚
に醍醐味があるのです。

つまりマクロビオティックを実践している人と会っただけ
で幸せになって病気が治っちゃう。

また、マクロビオティックを実践している人と出会った
だけで、勝ち負けなんて関係なくなっちゃう。

はたまた、マクロビオティックを実践している人と知りあう
だけで、人生の目的が変わっちゃう。

なんてね(笑)

そんな人を目差すのが「マクロビオティックの道」なんだと
思うのです。

というわけで、五輪のある年には、必ず同じようなことを
書いている気がしてきた(笑)

このブログのマンネリ感…。

そろそろ、変態する時期かな(笑)




ヒーローズ 〜龍が目覚める年

みなさま、新年あけましておめでとうございます!

さぁ、いよいよ、スピリチュアル界最大のイベント年
2012年の幕開けですね(笑)

まぁ、さんざん言ってるのでもうおわかりのように
人類滅亡の年ではありませんよ。

人類の新たな可能性が広がる年。

言ってみれば、パチンコのチューリップが開きっぱなし
になって、どんどん玉(魂)が入って、フィーバーする
感じでしょうか(笑)

また、今回は、個々人の玉だけでなく、地球という玉が、
宇宙に咲いたチューリップに入って、新たな段階へと
フィーバー(次元上昇)し始めるとでもいいましょうか。

とにかく、たくさんの人が修行なしに「目覚め」を経験
する時代が到来します。

日本では、昨年大きな出来事がありました。

日本列島は、昔から「龍体」として称されます。

昨年の出来事は、眠っていた「龍」の目覚めを意味して
います。

日本列島という龍が、目を覚まし、身震いし、気が満ち
溢れてゆっくりと立ち上がる光景を思い描いてみてください。

ものすごいエネルギーが活性しているのです。

ですから、その龍の背中にのっている僕らは、ものすごい
勢いで揺さぶられます。

といっても、エネルギーは様々な形で現れますので、
それは地震や災害だけでなく、経済や社会システム、
心や身体のゆさぶりで僕らは経験することになります。

これらの経験を心を決めて受け入れる時、僕らは龍の
飛翔にのって、次元を上昇することができます。

「龍」は、「次元エレベーター」として、様々な次元を
行き来できる乗り物なのです。

「恐れ」や「不安」「心配」を手放して、「好奇心」と
「夢」と「喜び」をもって、「龍」の背中に飛び乗って
ください。

これだけが、龍の飛翔に乗れる唯一の条件です。

日本人は、地球の今回の次元上昇を龍の背中にのって
先導する使命があります。

2012年のアセンションの始まりの年が、「辰年」である
ことは偶然ではないのですね!

といって、別に日本や日本人が「特別」ということでは
ありませんよ。

単に、大いなる宇宙のサイクルの中の持ち回りの当番です。

責任大ですね(笑)

さぁ、世界の先導者として、誇りを持って、龍の背中に
乗り込みましょう!

そうすれば、自分の中の驚くべき「英雄(ヒーロー)」が
作動し始めます。

下降のスパイラルが、上昇のスパイラルに大転換する今年。

偉大なる龍にのってヒーローになろうぜ!









見える世界を選んだ瞬間、僕らはちっぽけな存在に感じる

しかしまぁ、ホントあっという間に年末ですね!

今年は、最後まで図で引っ張りたいと思います(笑)


虚像と実像

この図は、今年僕が、ずっと取り組んできた宇宙の認識を
モデルにしたものです。

そして、来年はいよいよ2012年!

大きく人類意識の認識の転換が起こる年。

というか、もう既に起こってますけどね(笑)

僕の来年の決意は、「A」と「B」の完全な転換。

「A」という見える世界の選択から、「B」という見えない
世界へ飛翔すること。

もちろん、龍に乗ってね!

次元のエレベーターの扉は、いよいよ開放されます。

みんなどんどん乗って行きましょう!

それでは、よいお年をお迎え下さ〜い。









心を一つにという意味を考える

今年よく聞いたコトバ。

「心を一つにして、がんばろう!」

最近、よく考えるのだけど、この「心」って何だろう?

そこで、図にしてみる。


生命の木


スピリチュアルな世界では、よく「心と体の関係」を「生命の木」
で表現することがある。

つまり、「心」は「木」、「体」は「果実」。

そして、その「木」は、地中という見えない世界から派生
している。

こうして見ると、実は「心」は、もともと「一つ」しかない。

同時に、僕らのこの「宇宙」は、この一つの「心」と同義語で
あることがわかる。

では、なぜ「心がすれ違う」とか、「心一つになれない」とか
いわれるかというと、僕らが「果実」という「体」と「心」を
同一視しているからに他ならない。

「果実」は、当然のことながら、毎年生まれては死ぬ運命にある。

この「果実」が「心」であるならば、僕らはその都度、「心」が
消えてしまう恐れを抱くことになるだろう。

でも消えてしまうのは、「心」の一部分、しかも枝先の部分で
しかない。

果たして「自分」って何だろう?

「果実」が、自分だろうか?

「枝」が、自分だろうか?

「幹」は、自分だろうか?

どうやら「心」は幾つかの層があり、僕らがその「心」の
どの層に焦点を合わせるかで、「自分」の感じ方が変わって
くるようだ。

この「心」の層の使い方を段階的に示したのが、マクロビオティク
の桜沢如一だった。

彼は、この「心」の使い方を「判断力」といい、7つの段階に
分けて解説した。
判断力


僕らが普段、「自分」と考えている「心」は、実は「身体」と
密接に絡んでいる部分のみをいう。

つまり、第一判断力は、身体の防衛機能や生存本能と絡み合った
「心」である。

怒りや危機感といった感情は、身体の生存本能と密接につながって
いる。

また、「心が痛む」とか、「心がキュンとなる」などは、身体の
胸部と密接につながる第三判断力の現れである。

そして、僕らが頭で考えて、結論をだす「心」の作用は、もちろん
身体の頭部と密接につながる第四の判断力である。

ここまでが、身体と密接に絡み合った「心の働き」である。

第五判断力からは、身体を飛び出した「心の働き」である。

「木」の例えでいえば、「枝」と「幹」、そして見えない地中という
「無限の世界」での「心の使い方」を示している。

第七の「最高判断力」とは、「永遠の生命」を生ることをいう。

つまり、「心」とは、永遠に変わらない無限の宇宙、そして、僕らの
このいつか消滅する有限の宇宙、そして普段に生成する僕らの身体
宇宙を貫いている「一つの心」ということができる。

「最高判断力」とは、この「一つしかない心」の認識であり、そして
その「心」を自分のものとして生きることである。

でも、これって実は「無敵の心」なんです(笑)

だって、文字通り「敵」がいないのだから…。

「心が一つしかない」ないとすれば、「争う心」も、「競う心」も
「すれ違う心」もないわけです。

なんか説教臭くて、宗教臭いですか(笑)

でも、もうすぐ現代の物理学も、結局この物理的宇宙も「一つの心」
が創ったという結論に達しますよ。

ええ、そんな遠からぬ話です。

そしたら、なんか科学臭くねっていうことになりますかね(笑)




静寂と波紋の宇宙の中で

なんで心が落ち着いて、平和で満たされた気分の時と、
こころが落ち着かず、揺らいだ気分の時があるのだろう…。

それは、僕らが二つの宇宙のどちらかを選択して生きているから。

なんて考えてみる。

そこで、図にしてみる。


静寂と破門


最近、物理学の最先端などでは、無から宇宙が生まれた
なんていわれる。

無に一点の量子的ゆらぎが起こり、そのほんの僅かな
ゆらぎがインフレーションを起こし、いま僕らが生きている
物理的宇宙を創ったというような。

静かな水面に一滴のしずくが垂れると波紋が広がります。

つまり僕らが住んでいるように思える宇宙は、ゆらゆらと
揺らいで広がる波紋のようなもの。

これをマクロビオティックでは、静寂で変化のない水面を
「無限宇宙」、陰陽に波立つ動的な波紋を「有限宇宙」と
いいます。

なぜ、僕らが生きているかと思える物理的空間に、相反する
ものがあるかという理由は、これで簡単にわかりますね。

男と女、昼と夜、喜びと悲しみ、戦争と平和、愛と憎しみ
光と影、善と悪、生と死…。

これらは、すべて波紋という波形のズレによって見える陰と陽
の交換の現れなのでしょう。

つまり、僕らの心が揺れるのは、陰と陽のゆらぎともいえる
かもしれません。

では、逆に僕らの心が落ち着いて、静けさと平安の中にある時
はどうなのだろう。

それは、僕らが陰陽という波紋宇宙ではなく、波立たない静寂
な水面宇宙にいるからではないのだろうか。

だとすれば、宇宙には波立たない水面宇宙と、陰陽が波立つ
波紋宇宙が同時に存在していることになる。

そこで再び考える…。

僕らは、いつも陰陽の波立つ波紋宇宙で、心がゆらいでいる。
あたかも、この変化と流動的な世界がすべてだと感じている。

でも、実際お風呂で、一滴の水滴を垂らしてみてると、波紋は
一瞬で消えてしまう。

そして、そこには相変わらず波立つことのない静かな水面が
続いている。

果たして、どちらが実態なのだろうか。

波紋は、実態だろうか。

波紋は、真実であろうか。

僕らの心が、波紋の波にのるならば、僕らの心はゆらぎながら
中心から分離して、遠くへ引き裂かれると感じるかもしれない。

でも、僕らの心が水面であるとすれば、波紋は単なる一瞬の夢か
幻のように感じるかもしれない。

僕らの心が波紋にのる時、僕らは何か大いなるものから破門
されていると感じるのかもしれない。

「波紋と破門」

イマイチ落ちにならない。


はぁ〜とため息をついて

そして、もんもんとして考える…。

「はぁ〜もんもん」


別に落ち付けなくても…。

という神様の声が聞こえる。

静寂と波紋の宇宙の中で…。




忙しいってカッコわるいニャ〜

うり 

毎年ながら新米の季節は、何かと慌ただしくて
ブログを落ち着いて書く時間がない。

ので、近所のかわいがっているねこの写真を貼り付けて
おきます。

でも、いくら文字を連ねても、このねこほど真理は
かたれませんニャ〜




差異のある世界、そして差異のない世界

僕らが、世界を認識できるのは、世界に差異が
あるからといえます。

その差異のことを、マクロビオティックや東洋
の哲学では「陰陽」といいます。

例えば「男と女」には、違いがあり、ズレが
あります。

もし、違いやズレがなければ、男か女か区別が
つきません。

区別がつかないということは認識できないという
ことですね!

これは、形に限らず、僕らの感覚や感情が感じる
ことならすべて同じです。

つまり、「幸せ」を感じるためには、「苦しみ」
がなくてはならないとか、「快楽」を感じるため
には、「不快」を経験しなくてはならないとか
ですかね。

僕らの見ている世界は、違い、ズレ、落差という
差異によって成り立っている。

その一方の特性を「陰」と呼び、その一方の特性
を「陽」と呼び、この世界はすべてに「陰陽」が
あり、その拮抗が、僕らの宇宙をダイナミックに
動かし、僕らは、この宇宙を感じることができる
わけです。

比べる対象に「差異」があるということを「二元性」
といいます。

比べる対象に「差異」がないと、それらは「二つ」
として認識できません。

ただ「一つ」のものとして見えるわけです。

これを「一元性」といいます。

「一元性」の世界は、陰陽という差異がないので、
僕らの感覚では認識できません。

僕らの感覚を越えた世界です。

じゃあ、認識できないから、それは存在しないかと
いうと、それは論理的に成り立ちません。

なぜなら、僕らのこの世界が「二元性」であること
が、その先に「一元性」の世界があることを証明し
ているからです。

つまり、マクロビオティックなどで、なぜ「陰陽」
を学び、この世界が「二元性」であることを徹底的
に認識する練習をするかというと、その先に隠れて
いる「一元性」の世界を垣間見るためなのです。

そして、引いては、その一元性の世界に住み、
二元性の世界を自由自在にコントロールすることが
マクロビオティックの目的であり、桜沢如一の
「自由人思想」ということになるのです。

つまり、「1」と「2」の逆転です。

僕らは、「2」の世界をリアルな世界として、
「1」の世界はお伽話のようなアンリアルな世界
としてしか見れません。

ところが、ある瞬間に、「1」の世界がリアルで、
「2」の世界が、お伽話のようなアンリアルな世界
に逆転する時が来ます。

この逆転は、どうようにして起こるのでしょうか?

「ココを考える」ことが本当にオモシロイのです。

というか、「ココを考える」ことが「考える=カミ帰る」
ことの本当の意味なのかもしれません。

こんなことばかり「考えている人」は、本当に暇人
ですね!

でも「暇人」=「自由人」なのかもしれません(笑)

みなさんも「本当の暇人」になってみませんか!


 

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