ヒーローズ 〜龍が目覚める年

みなさま、新年あけましておめでとうございます!

さぁ、いよいよ、スピリチュアル界最大のイベント年
2012年の幕開けですね(笑)

まぁ、さんざん言ってるのでもうおわかりのように
人類滅亡の年ではありませんよ。

人類の新たな可能性が広がる年。

言ってみれば、パチンコのチューリップが開きっぱなし
になって、どんどん玉(魂)が入って、フィーバーする
感じでしょうか(笑)

また、今回は、個々人の玉だけでなく、地球という玉が、
宇宙に咲いたチューリップに入って、新たな段階へと
フィーバー(次元上昇)し始めるとでもいいましょうか。

とにかく、たくさんの人が修行なしに「目覚め」を経験
する時代が到来します。

日本では、昨年大きな出来事がありました。

日本列島は、昔から「龍体」として称されます。

昨年の出来事は、眠っていた「龍」の目覚めを意味して
います。

日本列島という龍が、目を覚まし、身震いし、気が満ち
溢れてゆっくりと立ち上がる光景を思い描いてみてください。

ものすごいエネルギーが活性しているのです。

ですから、その龍の背中にのっている僕らは、ものすごい
勢いで揺さぶられます。

といっても、エネルギーは様々な形で現れますので、
それは地震や災害だけでなく、経済や社会システム、
心や身体のゆさぶりで僕らは経験することになります。

これらの経験を心を決めて受け入れる時、僕らは龍の
飛翔にのって、次元を上昇することができます。

「龍」は、「次元エレベーター」として、様々な次元を
行き来できる乗り物なのです。

「恐れ」や「不安」「心配」を手放して、「好奇心」と
「夢」と「喜び」をもって、「龍」の背中に飛び乗って
ください。

これだけが、龍の飛翔に乗れる唯一の条件です。

日本人は、地球の今回の次元上昇を龍の背中にのって
先導する使命があります。

2012年のアセンションの始まりの年が、「辰年」である
ことは偶然ではないのですね!

といって、別に日本や日本人が「特別」ということでは
ありませんよ。

単に、大いなる宇宙のサイクルの中の持ち回りの当番です。

責任大ですね(笑)

さぁ、世界の先導者として、誇りを持って、龍の背中に
乗り込みましょう!

そうすれば、自分の中の驚くべき「英雄(ヒーロー)」が
作動し始めます。

下降のスパイラルが、上昇のスパイラルに大転換する今年。

偉大なる龍にのってヒーローになろうぜ!









見える世界を選んだ瞬間、僕らはちっぽけな存在に感じる

しかしまぁ、ホントあっという間に年末ですね!

今年は、最後まで図で引っ張りたいと思います(笑)


虚像と実像

この図は、今年僕が、ずっと取り組んできた宇宙の認識を
モデルにしたものです。

そして、来年はいよいよ2012年!

大きく人類意識の認識の転換が起こる年。

というか、もう既に起こってますけどね(笑)

僕の来年の決意は、「A」と「B」の完全な転換。

「A」という見える世界の選択から、「B」という見えない
世界へ飛翔すること。

もちろん、龍に乗ってね!

次元のエレベーターの扉は、いよいよ開放されます。

みんなどんどん乗って行きましょう!

それでは、よいお年をお迎え下さ〜い。









心を一つにという意味を考える

今年よく聞いたコトバ。

「心を一つにして、がんばろう!」

最近、よく考えるのだけど、この「心」って何だろう?

そこで、図にしてみる。


生命の木


スピリチュアルな世界では、よく「心と体の関係」を「生命の木」
で表現することがある。

つまり、「心」は「木」、「体」は「果実」。

そして、その「木」は、地中という見えない世界から派生
している。

こうして見ると、実は「心」は、もともと「一つ」しかない。

同時に、僕らのこの「宇宙」は、この一つの「心」と同義語で
あることがわかる。

では、なぜ「心がすれ違う」とか、「心一つになれない」とか
いわれるかというと、僕らが「果実」という「体」と「心」を
同一視しているからに他ならない。

「果実」は、当然のことながら、毎年生まれては死ぬ運命にある。

この「果実」が「心」であるならば、僕らはその都度、「心」が
消えてしまう恐れを抱くことになるだろう。

でも消えてしまうのは、「心」の一部分、しかも枝先の部分で
しかない。

果たして「自分」って何だろう?

「果実」が、自分だろうか?

「枝」が、自分だろうか?

「幹」は、自分だろうか?

どうやら「心」は幾つかの層があり、僕らがその「心」の
どの層に焦点を合わせるかで、「自分」の感じ方が変わって
くるようだ。

この「心」の層の使い方を段階的に示したのが、マクロビオティク
の桜沢如一だった。

彼は、この「心」の使い方を「判断力」といい、7つの段階に
分けて解説した。
判断力


僕らが普段、「自分」と考えている「心」は、実は「身体」と
密接に絡んでいる部分のみをいう。

つまり、第一判断力は、身体の防衛機能や生存本能と絡み合った
「心」である。

怒りや危機感といった感情は、身体の生存本能と密接につながって
いる。

また、「心が痛む」とか、「心がキュンとなる」などは、身体の
胸部と密接につながる第三判断力の現れである。

そして、僕らが頭で考えて、結論をだす「心」の作用は、もちろん
身体の頭部と密接につながる第四の判断力である。

ここまでが、身体と密接に絡み合った「心の働き」である。

第五判断力からは、身体を飛び出した「心の働き」である。

「木」の例えでいえば、「枝」と「幹」、そして見えない地中という
「無限の世界」での「心の使い方」を示している。

第七の「最高判断力」とは、「永遠の生命」を生ることをいう。

つまり、「心」とは、永遠に変わらない無限の宇宙、そして、僕らの
このいつか消滅する有限の宇宙、そして普段に生成する僕らの身体
宇宙を貫いている「一つの心」ということができる。

「最高判断力」とは、この「一つしかない心」の認識であり、そして
その「心」を自分のものとして生きることである。

でも、これって実は「無敵の心」なんです(笑)

だって、文字通り「敵」がいないのだから…。

「心が一つしかない」ないとすれば、「争う心」も、「競う心」も
「すれ違う心」もないわけです。

なんか説教臭くて、宗教臭いですか(笑)

でも、もうすぐ現代の物理学も、結局この物理的宇宙も「一つの心」
が創ったという結論に達しますよ。

ええ、そんな遠からぬ話です。

そしたら、なんか科学臭くねっていうことになりますかね(笑)




静寂と波紋の宇宙の中で

なんで心が落ち着いて、平和で満たされた気分の時と、
こころが落ち着かず、揺らいだ気分の時があるのだろう…。

それは、僕らが二つの宇宙のどちらかを選択して生きているから。

なんて考えてみる。

そこで、図にしてみる。


静寂と破門


最近、物理学の最先端などでは、無から宇宙が生まれた
なんていわれる。

無に一点の量子的ゆらぎが起こり、そのほんの僅かな
ゆらぎがインフレーションを起こし、いま僕らが生きている
物理的宇宙を創ったというような。

静かな水面に一滴のしずくが垂れると波紋が広がります。

つまり僕らが住んでいるように思える宇宙は、ゆらゆらと
揺らいで広がる波紋のようなもの。

これをマクロビオティックでは、静寂で変化のない水面を
「無限宇宙」、陰陽に波立つ動的な波紋を「有限宇宙」と
いいます。

なぜ、僕らが生きているかと思える物理的空間に、相反する
ものがあるかという理由は、これで簡単にわかりますね。

男と女、昼と夜、喜びと悲しみ、戦争と平和、愛と憎しみ
光と影、善と悪、生と死…。

これらは、すべて波紋という波形のズレによって見える陰と陽
の交換の現れなのでしょう。

つまり、僕らの心が揺れるのは、陰と陽のゆらぎともいえる
かもしれません。

では、逆に僕らの心が落ち着いて、静けさと平安の中にある時
はどうなのだろう。

それは、僕らが陰陽という波紋宇宙ではなく、波立たない静寂
な水面宇宙にいるからではないのだろうか。

だとすれば、宇宙には波立たない水面宇宙と、陰陽が波立つ
波紋宇宙が同時に存在していることになる。

そこで再び考える…。

僕らは、いつも陰陽の波立つ波紋宇宙で、心がゆらいでいる。
あたかも、この変化と流動的な世界がすべてだと感じている。

でも、実際お風呂で、一滴の水滴を垂らしてみてると、波紋は
一瞬で消えてしまう。

そして、そこには相変わらず波立つことのない静かな水面が
続いている。

果たして、どちらが実態なのだろうか。

波紋は、実態だろうか。

波紋は、真実であろうか。

僕らの心が、波紋の波にのるならば、僕らの心はゆらぎながら
中心から分離して、遠くへ引き裂かれると感じるかもしれない。

でも、僕らの心が水面であるとすれば、波紋は単なる一瞬の夢か
幻のように感じるかもしれない。

僕らの心が波紋にのる時、僕らは何か大いなるものから破門
されていると感じるのかもしれない。

「波紋と破門」

イマイチ落ちにならない。


はぁ〜とため息をついて

そして、もんもんとして考える…。

「はぁ〜もんもん」


別に落ち付けなくても…。

という神様の声が聞こえる。

静寂と波紋の宇宙の中で…。




忙しいってカッコわるいニャ〜

うり 

毎年ながら新米の季節は、何かと慌ただしくて
ブログを落ち着いて書く時間がない。

ので、近所のかわいがっているねこの写真を貼り付けて
おきます。

でも、いくら文字を連ねても、このねこほど真理は
かたれませんニャ〜




差異のある世界、そして差異のない世界

僕らが、世界を認識できるのは、世界に差異が
あるからといえます。

その差異のことを、マクロビオティックや東洋
の哲学では「陰陽」といいます。

例えば「男と女」には、違いがあり、ズレが
あります。

もし、違いやズレがなければ、男か女か区別が
つきません。

区別がつかないということは認識できないという
ことですね!

これは、形に限らず、僕らの感覚や感情が感じる
ことならすべて同じです。

つまり、「幸せ」を感じるためには、「苦しみ」
がなくてはならないとか、「快楽」を感じるため
には、「不快」を経験しなくてはならないとか
ですかね。

僕らの見ている世界は、違い、ズレ、落差という
差異によって成り立っている。

その一方の特性を「陰」と呼び、その一方の特性
を「陽」と呼び、この世界はすべてに「陰陽」が
あり、その拮抗が、僕らの宇宙をダイナミックに
動かし、僕らは、この宇宙を感じることができる
わけです。

比べる対象に「差異」があるということを「二元性」
といいます。

比べる対象に「差異」がないと、それらは「二つ」
として認識できません。

ただ「一つ」のものとして見えるわけです。

これを「一元性」といいます。

「一元性」の世界は、陰陽という差異がないので、
僕らの感覚では認識できません。

僕らの感覚を越えた世界です。

じゃあ、認識できないから、それは存在しないかと
いうと、それは論理的に成り立ちません。

なぜなら、僕らのこの世界が「二元性」であること
が、その先に「一元性」の世界があることを証明し
ているからです。

つまり、マクロビオティックなどで、なぜ「陰陽」
を学び、この世界が「二元性」であることを徹底的
に認識する練習をするかというと、その先に隠れて
いる「一元性」の世界を垣間見るためなのです。

そして、引いては、その一元性の世界に住み、
二元性の世界を自由自在にコントロールすることが
マクロビオティックの目的であり、桜沢如一の
「自由人思想」ということになるのです。

つまり、「1」と「2」の逆転です。

僕らは、「2」の世界をリアルな世界として、
「1」の世界はお伽話のようなアンリアルな世界
としてしか見れません。

ところが、ある瞬間に、「1」の世界がリアルで、
「2」の世界が、お伽話のようなアンリアルな世界
に逆転する時が来ます。

この逆転は、どうようにして起こるのでしょうか?

「ココを考える」ことが本当にオモシロイのです。

というか、「ココを考える」ことが「考える=カミ帰る」
ことの本当の意味なのかもしれません。

こんなことばかり「考えている人」は、本当に暇人
ですね!

でも「暇人」=「自由人」なのかもしれません(笑)

みなさんも「本当の暇人」になってみませんか!


 

光を食べる人たち


稲

今年2回目の稲刈りに行って来ました。

写真では、到底表現できないのですが、棚田の風に吹かれて
揺れる稲たちに、太陽の光が差し込むと、本当にキラキラと
黄金色に輝きはじめます。

まるで、風の谷のナウシカの一場面かのような。

穀物は、本当に「光」なのだなぁと、つくづく感じます。

僕らの本質は「光」です。

穀物は、地上で最も「光」を象徴する食べ物。

僕らは穀物を食べることで、自分の本質を思い出すのでしょう。

そして僕らは光となって、世界を照らします。

黄金の国、ジパング。

そろそろ、灯台にスイッチを入れましょうか。

もちろん、電源は宇宙に差し込んでね(笑)





激動の時代だからこそ生きる男

桜沢如一の伝記小説 

写真でかくない?

はい、デカイです。

だってこの男、装丁外ですから(笑)

社会が不安だったり、環境の異変だったりで、時代が激変する時
現れる人たちがいます。

その人達は、泥濘のうような、はたまた瓦礫とかした社会構造を
もろともせずに、自由に、そして優雅に、そして激しく、自分の
信じた宇宙を生きた人たちです。

そして、そういう人たちは、現在、過去、未来という時間軸を
超えて生き続けています。

そして、いまこの瞬間にも、僕らに語りかけます。

『桜沢如一。100年の夢。』を書いた著者の方は、2009年の
初夢にGOが枕元に立ったと言います。

そして、激動の始まりを予感させる今年、GOのメッセージは
一冊の本として僕らに届けられます。

贅沢は毛頭申しません。

マクロビオティックを理解してくれなくてもよいのです。

どうか、少しでも多くの人に、日本にこんな規格外の男がいた
ことを知って欲しいのです。

そして、この激動の時代だからこそ、本当の自分を見つめ、
自由に、そして楽しく、そして素晴らしい人生が送れることを
知ってほしいのです。


「スキなことをタンノーするほどやりぬき、スバラシイ、オモシロイ、ユカイな一生を送る。そしてスベテの人々に永く永くよろこばれ、カンシャされることである」 如一


僕らもいよいよホントーの生命を生きる時が来たのでしょう。
宇宙を生きるマスターと共に、大海原へ漕ぎいでる時が来た
のです。



静けさの中で聞いた歌

僕の自宅の近くには小さな神社があって、緑
も多く、一人で仕事をしていると、たくさんの
虫や鳥の声が聞こえてきます。

つい最近まで、アブラゼミの大合唱の騒がしさ
の中で仕事をしていたのですが、今はかすかな
秋の虫の声が聞こえるくらい。

あまりに静かなので、なんとなく、久しぶりに
ラジオをつけてみたくなった。

そしたら、とても印象的な歌が流れてきました。

今日の私は機嫌がいい それはアンタと関係がない 新しい服をきているから
今日の私は機嫌がいい それは世の中とも関係ない 新しい服を着ているから

なんか、服飾メーカーのCMソングらしいのですが
とてもスピリチュアリティー溢れる歌詞で関心して
しまったのです。

僕らは、ついつい、自分の心の状態は、「アンタ」
や「世の中」の状況によって左右されると思って
しまいます。

しかし、実はこれは全くの誤解で、僕らの心は、
「他人」や「世間」とは全く関係がないのかも
しれません。

つまり、心の状態とは、いつでも、どんな状況でも
自分で選択して決めるものであって、「他者」が
決めるものでも、「世間」が決めるものでもない。

この歌では、その理由は「新しい服をきているから」
と歌ってますが、スピリチュアルな観点から言えば、
それは「物質的な服」や「身体の状況」でもありません。

僕らは、あまりにも、「心」を、「身体」や「他者」
そして「世間」という幻に落としこんでしまった。

でも、これからは、そこから「心」を引き上げ、新しい
世界を生きる時代が始まるのでしょう。

今日の僕の心はとても静かだ。
それは、あなたとも今の世界の状況とも関係ない。
それは、僕が新しい世界を生きているから。

静けさの中で聞こえてきた歌は、そう僕の心に響いて
いくのでした。




箱舟に乗って目指す未来


以前、「天空農園の記憶」という記事を書いたこと
があります。

そして、震災後はじめて棚田で稲刈りをして、また
その思いが強くなりました。

そうか、棚田は「箱舟」なんだなと…。

世界には隈なく「洪水神話」があります。
神話は、単なる物語で、現実ではないと言われます。

ただ、今回の震災のように、人類にはどうすることも
できない地球の圧倒的なパワーに直面すると、あながち
神話も荒唐無稽とは言えなくなるかもしれません。

世界に大洪水が起きて、すべてが水に流される。
そして、残ったものは、高地にひっそりと開かれた
「棚田」だけだったら…。

「棚田」には、すべての「種」が保存されています。

それは、もちろん未来の人類の食べ物となるお米の
「種籾」であり、豊かな生態系の中で育まれる動植物
の「種」であります。

それらの「種」が、洪水の引いた低地に引き継がれます。

それは、まさに聖書の中にある「箱舟伝説」であり、
日本の神話にある「天孫降臨伝説」として書留られる
かもしれません。

実際、僕は佐渡の誰も上がってこないような高地に
ある棚田を利用したビオトープをみた時、これは神様
の「生命のラボ」なんだなと思いました。

東日本大震災が起きた後の混乱の中で、「棚田どころ
じゃないでしょ」という声も聞こえます。

ただ、僕は時代が転換すればするほど、自分が「棚田」
に関わってきた意味が明確になっていくような気がする
のです。





栃木県茂木町のとある山中にある棚田。
天気がとてもよくて、気持ちのいい稲刈りでした。







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